2002/12/13
おとなになるっていうことは
単品開発の稽古の帰りに、電車の中で笹木哲と話していると 「なんかねえ、このままおとなになるんかなあって思うんですよ」と遠くを見て話していた。 ていうか、もうすでにおとなだし…と思いながらも、おとなってなんだろうとふと考えた。 おとなかもしれないと思う瞬間はいろいろあって、 自分の中での瞬間瞬間が積み重なっていくものだけど、 それでも、まだおとなになりきれないなあ… ああ、おとなのおとなたる所以はなんなのだろうと 思春期の少年のような悩みにさいなまれたりすることもある。 最初に「あ、オレおとな」と思ったのは、高校球児が年下になったときだった。 どう考えても、自分よりも身体の大きなおっさんくさい高校生たちが自分よりも年下だと知ったとき、 なんだか妙にタイムスリップしてしまったような、どこかに忘れ物をしてきたような感覚を抱いた。 次に「あ、オレおとな」と思ったのは、お年玉をあげた瞬間だった。 ひとつづつ子供のイベントから引き離されていく寂しい気持ち。 クリスマスプレゼントもなくなり、お年玉もなくなり、バースデープレゼントもなくなった。 世の中で活躍して、インタビューされている人たちが年下になったり 気が付けば、結構長いことサラリーマンをやって5年が経っていたり あと2年もないうちに、30歳になるんだなあと思ったり サッカーのあとの筋肉痛が1日遅れでやってきたり そんな「おとな」要素はどんどん増えていく、それなのに… この追いつかない、おとなにならない感覚は一体なんなのだろう? どこがおとなのゴールなのだろう? そこには一体何があるのだろう?